パーソナルヒストリー

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生涯現役。キャリア・アーティスト✨

わたしは男女雇用機会均等法施行前に就職しました。

「クリスマスケーキ」なんって言葉があった時代です。ご存知でしょうか?

クリスマスケーキって? 25日までは高値がつきますが、それを過ぎると価値がない。女性は25歳を過ぎると価値がない……そんなひどいことを言われていました。

「女性は入社するとお茶くみが仕事。25歳にもなると肩たたき。それをすぎるとお局様」そんなことを言われていた時代です。

今思うと「ウソでしょ〜」って感じがしませんか?(笑)

 

そんな時代、「長いこと働きたい」と思い、わたしは外資系企業に新卒で入社しました。

営業は、お客様と関係構築のために、お酒を飲まなくてはならい。お酌をしなくてはならない仕事……と考えられていましたから、営業の仕事はしたくない、って思っていました。

希望したのはクルーズ客船を取り扱う部門である「客船部」

ラッキーなことに、希望の部署に配属されました。

 

新卒で入社して3ヶ月後。初出張は中国の上海でした。当時は新卒3ヶ月。

しかも女性で海外出張なんってかなり珍しかったかもしれません。

 

あるとき部の懇親会がありました。上司にお酒を注ごうとした時のことです。

やめなさい。海外では女性にお酒を注がせたりしない。そう言うことをすると女性がバカにされるからやめなさい!

そう部長から言われたのです。

(ちなみに、これまで働いた外資系の企業では、どこも「部長」なんてタイトルで呼んだことはありません。役職にかかわらず社長も含めて「〇〇さん」です。)

私にはパッと目の前が晴れるような、そんな嬉しい衝撃でした。

それが、わたしの「キャリア」の出発点となりました。

 

その外資系企業では転職や留学は当たり前の環境でした。

帰国子女も多く、英語はペラペラ。

わたしは彼女たちと比較して英語にコンプレックスを持っていました。

3年ほど経ったある日、同期で仲良くしていた女性から退職をすると告げられました。

奨学金でアメリカの大学院に通うと言うのです。

それは驚きと同時に、わたしの心をグラグラと揺さぶりました。

実は、アメリカ留学は中学生時代からの夢だったのです。

彼女ができるなら私にもできるはず!

奨学金のことを調べました。いずれの奨学金も年齢制限がありました。

唯一申し込めたのはロータリー財団の奨学金だけ。すでに年齢制限ギリギリのタイミングでした。

しかも、気づいた時は締め切りまで二週間を切っていたのです。

必要な書類を高校時代と大学時代の成績表、3人からの推薦状、エッセー、写真、申請書……。

いま、振り返っても、あんなに短期に全力で集中したことはなかったかもしれません。

幸いなことにロータリー財団の奨学金の試験に地区トップ合格し、第一希望の大学が指定されました。

憧れの西海岸……スタンフォード大学でした。

とは言え、ロータリー財団から指定されたからといって、入学は保証されません。

大学に合格しなければならないのです。

今のようにパソコンは普及していませんでした。修正の効かない電子タイプライターとワープロ。スペルチェックなんてありません。

入念に目視で確認してエッセーを書き上げ、入学書類を提出しました。

並行して必要なGMATやTOEFLといった大学院に必要な英語の試験を受けまくりました。

「習うより慣れろ」

 

スタンフォード大学からの合格通知が届きました。

「不合格」の文字。

英語力も含めて実力不足は明らかでしたが、やはりとてもショックでした。

ロータリー財団からは、別な大学院への指定変更が認められなければ奨学金はおりません。

受かった大学の中から、なんとか指定変更を認めてもらい、アメリカに渡りました。

 

帰国後は、変化の激しい外資系IT業界に身をおき、気がつけば25年。

アップルやマイクロソフトを含めて7社。ご縁に恵まれ転職回数は8回。

買収する側、される側。

毎年のようにCEOが交代、日本法人社長も交代。リストラも経験しました。

 

55歳。これまでの延長線上で転職するのはなんだか違う気がしました。

そう思って55歳でキャリアコンサルタントになりました。

そんな矢先、さらなるご縁で、日本企業の役員に就任しました。

おそらくキャリアコンサルタントの勉強をしていなければ、考えにも及ばなかったかもしれません。

日本企業にこそ変革が必要だ。これまでの経験を活かせるのは日本企業かもしれない! それに、私自身、十分に人生経験も積んでオトナになった今だから…

と言う思いもありました。

ところが……です。私は自己不一致を起こしていました。

自分らしく振舞うことができませんでした。とても窮屈でしかたありませんでした。

私は自分を発揮できませんでした。潜在意識は適応障害を起こしていたのです。

外資系しか経験のなかった私。そこでは、違うことが当たり前でした。

性善説に基づき、多様性や自律性を尊重しあっていました。

フラットでオープン。上司・部下関係なく、意見をぶつけあうことも自然にできました。

朝令暮改も当たり前。スピード重視で例え60%-70%でも「まずはやってみよう」と言う文化が根付いていました。

日本企業を経験することで、これまで当たり前だと思っていたこと、無意識で気づかなかったこと、自分の大切にしていることや、心の声に気づくことができました。

だからわたしは新卒で外資系に行ったんだ。だからわたしは外資系のIT業界にいたんだ

外資系、そしてIT業界は、わたしにはとても合う環境だったのです。

そこにいるときは当たり前と思っていたために気づきませんでした。

また、IT業界で技術職ではないことに劣等感をもっていましたが、そんな劣等感は不要でした。

 

日本企業で働くことで、改めて多くのことに気づくことができました。とても大きな意味があったのです。

そして、わたし自身の人生を振り返り、あらためて点と点をつなぐことができました。

 

また、人生を振り返ると、「枠を超えること」をテーマに生きていたのかもしれません。

そして、枠を超えて、誰もが自分らしく、心軽やかにイキイキと生きられる世界を実現したい。ありのままで受け入れられる世界、フラットでオープンで笑顔でつながっている世界。

そんな世界が実現されたら素敵だとは思いませんか?

Achi Chi A Chi歌っています♪

57歳にして無謀にも芸能界入りを果たしました(笑)

知らない世界に足を踏み入れることにワクワクしています。

枠を越える。無意識の壁、世間の常識、古い考え方や陳腐化したルール、制限となるビリーフなどを越えること。

自分を生かし、役立てること。

人生というステージでありのままの自分を表現すること。

キャリアとは人生。誰もが人生というステージでのパフォーマーです。

自分が輝いて、体現することで勇気づけになれたら幸せに思います。

いくつになっても未知のことにチャレンジできる。自分の魂が喜ぶ生き方をすることで道が拓ける。

人生の主役はあなた自身です。あなたが心から幸せと感じられる人生を。

誰かができることはあなたにもできるのです。

 

一度の人生 大事な時間🎵

 

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